
シリーズNo.2 能登半島地震
よつ葉50年の歴史の中で、日本でも世界でもいろんな出来事や事件がありました。そうした出来事に対して、よつ葉はこれまでどのように向き合ってきたのか。このシリーズでは、そのいくつかを取り上げて振り返ってみます。
思い出話ではなく、よつ葉の活動と考えの礎になっていることを。そして未来の指針としていくために。
NOTO NOT ALONE(ノト ノット アローン:能登はひとりじゃない)
2024年元日に、能登半島地震が起きました。能登は母の出身地で、幼い頃にはよく訪ねた、思い出が詰まった土地です。テレビから流れてくる懐かしい響きの地名、我が目を疑うような被害の光景に心がちぎられるような感覚で、何をどうすればいいのかも分からず、生産者に電話を掛けていました。これがよつ葉としても最初のアクションでした。8日に輪島やまぐちの山口さんから、「冷凍庫に干物がある。でも、余震が続いているし、いつ停電するか分からないから早くここから出したい」との一報を受け、急遽、販売することになりました。地震で運送便も道路事情も混乱するなかで、なんとか発送してもらい、おかげ様ですぐに完売しました。商品を売り上げたお金だけでなく、「あなたのことを心配していますよ」とのメッセージも一緒に届けられたのではないかと、この出来事を通じて思いました。
その後、カタログ「Life」では能登の生産者の特集を継続して行っています。よつ葉として能登に寄り添おうとしていることが伝わるといいなと思います。関わるなかで能登の底力を感じることもありました。仙台の趙さんの味の李さんは、タマタニのいしりの品質の高さを評価し、それをキムチづくりに使ってくれることになりました。
しかし一方で、生産拠点の壊滅的な被害で廃業した方、人的被害で事業規模を大幅に縮小した方、後継者が能登を離れた方もいます。販売を通じての支援には限界があるのだと痛感しました。
現地に赴いての支援は、CPAOやパルシックなどつながりのある団体をサポートする形での食料支援や物資カンパから始めました。2025年からは、よつ葉の「ともに生きるアクション」として能登に残った人たちが希望を持っていきいきと暮らせるよう、能登の自然や文化、産業をささえていく活動に力を入れています。よつ葉の会員さんや生産者の協力を得ながら、珠洲市三崎町で休耕田で米作りが始まっています。
地震から2年3か月が過ぎました。豪雨による被害もありました。生産者や団体への支援·応援を通じて、能登の漁業と農業、地場産業の復興に向けて、息長く取り組んでいきたいと思っています。ノト ノット アローン!
(ひこばえ 後川)
※震災直後から、1200万円にのぼる義援金の協力をいただきました。全額を生産者に直接お届けすることができました。ご協力、誠にありがとうございました。
