2025年7月号(171号)-1
震災支援に携わるなかで生まれた
能登 米づくりの新たな挑戦
地震発生から1年半が過ぎた今なお、倒壊した家屋の半分近くが解体されないまま残っている能登。元々、国内でも相対的に高齢化の進んだ地域であり、震災後は子どもたちや若い世代を中心に人口減に拍車がかかっています。そんな状況下であっても、地域に残り希望を持って暮らしていきたいという人々の想いが、いろいろな形となって現れてきています。関西よつ葉連絡会では会員の皆さんからご協力をいただき、志を同じくする生産者やNPOと一緒に被災地支援を行ってきました。そしてこれからもその新しい動きを応援していきます。
(3・4面に関連記事)
田植えスタート!
自分たちで暮らしを成り立たせる力
認定NPO法人CPAO 徳丸ゆき子
2024年元日の震災直後から月に2回のペースで能登を訪れています。大きな力はない私たちが支援できる範囲は限られており、震災直後、珠洲市の中心地から離れ、支援が手薄だった三崎町にベースをつくり活動を続けてきました。
1年がたった今年の春頃、私たちが開く〝ごはん会〟に親子で参加される方や若い方々から「お米をつくってみたい」という声がありました。被災直後の過酷な状況を経験してきた方々、自分たちで暮らしを成り立たせる力をつけたい、そのなかでも食べることは重要で、まずは主食のお米をつくりたいというお話でした。
珠洲市にも休耕田はたくさんあります。それらの活用にもなると思い、よつ葉さんにも協力をお願いしました。農家でもある地元議員さんの協力で確保できた4枚の田んぼに地元の皆さん、県外ボランティアの皆さん、そして私たちで田植えを行うことができ、順調な滑りだしです。よつ葉さんに紹介してもらった丹波ハピー農園の堀さんは、繁忙期のお忙しいなか、地震で壊れた水路を修復するため一週間のうちに2回も珠洲市へ来てくださり、感謝しきれません。
被災によって得た教訓を活かして
今回の震災で能登の人たちは「何かあっても、支援はこの半島の先までは届きにくい」と実感されています。主食である米の不足や価格の高騰が騒ぎになっていますが、今必要なことは被災によって得た教訓を活かし〝自分たちの暮らしに必要なものは自分たちの地域で確保する〟ことにつながる取り組みではないでしょうか?
山と海の恵みが豊かな能登半島には、それができる条件があります。一方で、都市に暮らす私たちは? まだヨチヨチ歩きの小さな芽吹きですが、そんなことをみんなが考えるきっかけになるかもしれません。
この1年半、自分たちがこれまでやってきたように子どもたちや保護者の方々の居場所づくりに力を入れ、その柱として「まずはごはん!」を合言葉にしてきました。地震で辛い想いをした方々だからこそ、ありきたりの炊き出しや弁当だけではなく、できるだけ良い素材で子どもたちのリクエストに応えたり、さまざまなルーツを持つボランティアの方々に協力してもらい、いろんな国の珍しい料理を食べてもらったりしました。
いまだ自由に思いっきり遊べる場所がない珠洲市ですが、月に数回開催する「あそび場づくり」でも、子どもたちは本当に楽しそうに遊んでくれています。そのなかには被災した直後は「天国に行きたい」「死にたい」と言う子、地震のときの経験をクレヨンで紙全体を真っ黒に塗って描いていた子もいました。
そう考えたとき、「大きな力はない」としても無力ではない。大阪で困窮しているシングルマザー親子や若者を支援してきた「おいしい」「たのしい」でつながる経験が、被災地でも役に立っているように思っています。そして、よつ葉の会員の皆さんから寄せられた支援により、この間の活動は力強く支えられてきました。心よりお礼を申しあげると同時に、地域での米づくりという新しい挑戦が始まった今、これからも引き続きご協力のほどよろしくお願いいたします。
今年の秋には、いよいよ初めての稲刈りを迎えます。初年度の米づくり、しかも素人中心のチームなので、どれだけ収穫できるか分かりません。けれど、収穫を終えた田んぼを眺めながら、子どもたちやお母さんたちとバーベキュー(よつ葉さんがお肉をご提供くださるそう…)をして小さなお祝いができたら…。そんな時間を、今から心待ちにしています。
ゴールはまだまだ!
必要なものは自分たちでつくる
三崎町民 寺内幸恵
子どもの頃、家は兼業農家でお米をつくっていました。春はお米の苗づくりの手伝いで育苗箱に土を入れてならし、育苗箱をビニールハウスの奥から並べ、水やりをしていたことを覚えています。秋には稲刈りでコンバインに乗せてもらうのが好きでした。
「お米をつくりたい」と思ったのは震災がきっかけです。同僚で以前より一人でお米づくりをしていた女性がいました。震災の年も例年通りにお米づくりをしているのを見ていて、私もどんな環境に置かれても、「自分たちの必要なものは自分たちでつくれるようになりたい」と思ったのです。当初はまず同僚の米づくりに参加して勉強する予定でしたが、急展開で今年から自分たちで取り組めることに。
震災以降、私の住む珠洲市三崎町をこども食堂で支援してくださっているCPAOの徳丸さんに「お米づくりしたいんですよ!」と言ったことがきっかけで、徳丸さんを通じてよつ葉さんからの支援を受けながら、無農薬でのお米づくりに挑戦しています。
興味を持ってくれる仲間や、こども食堂に集まる子どもやママたちにも関わってもらい、今、初めての田植えをしている最中。身体中が筋肉痛ですが充実しています。これから草との闘いだと思いますが、自分たちで育てたお米をみんなで食べられるのを楽しみに、日々、勉強していこうと思います。