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よつ葉ホームデリバリー

2023年第135便_1

命をつなぐ事業に!

今年の夏は本当に暑かった。いやまだ過去形には早いか。9月に入り、ようやっといつもの夏の暑さに落ち着いてきたように感じていますが、さすがにこの暑さだと牛も食べたもののエネルギーはそのほとんどをこの暑さを乗り切るために消費してしまい、なかなか大きくなってくれません。野菜も夏の定番となっているなすやきゅうりなどの成りもの野菜はこの暑さと水不足で収穫が激減しているらしく、毎年、冷蔵庫の中で溢れ返っているししとうや万願寺などは9月に入ってもまだ一度も口にしていません。

国連もこうした事態に「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化の時代が到来した」と警鐘を鳴らしています。異常なまでの今年の暑さ、これまで世界各地で起こっていた異常気象をどこか対岸の火事のように見ていたのとは違い、地球温暖化をこれほど身近に感じた年はありませんでした。

そしてこの気候変動の問題に自動車と肩を並べるほどの悪評として名を連ねているのが畜産です。たしかに日々、畜産の現場に携わっている中で穀物への依存度は極端に偏っているし、これだけの穀物(主にとうもろこし)を賄うには相当な圃場面積が必要なわけで全世界の農地面積の7~8割が家畜の飼料生産に使われていると言われれば、なるほどと変に納得してしまう。この偏った飼育を維持するために偏った生産体系がグローバルに確立されている現状では今すぐにこうした問題を見直し転換させていくのは難しいのだろう。

でも、だからといって牛が吐き出すメタンガスをサプリメントやマスクで抑制しようとする様は、科学技術に胡坐をかいた人間の傲慢さがそこには表れているように感じてなりません。家畜と人間の関係は古く、産業革命の遥か昔から人々の生活に寄り添い、人間労働に寄与してきました。それが50年ほどですっかり食べ物に特化した生き物となってしまった。結果、人間が経済効率を限りなく優先するあまりBSEや気候変動に象徴されるような存在になってしまったのだと感じています。

能勢農場が取り組んでいる「よつばのあかうしプロジェクト」事業はそんな人と家畜の関係をもう一度作り直し、昔のような人びとの暮らしに寄り添うような存在として現代に蘇らせたいと思っています。 これまで農場だよりを通して伝えてきた放牧・繁殖の取り組みもこうした私たちの想いを形にした事業として取り組んできました。そして家畜は食べ物である前に生きものとしての時間があるということを忘れないために命をつないでいく事業として育てていきたいと思います。

(能勢農場 寺本 陽一郎)

農業生産法人(有)丹波協同農場近藤 亘氏 追悼

農業生産法人(有)丹波協同農場の代表を務めてきた近藤亘さんが9月5日に亡くなりました。享年50歳でした。

2008年に設立された世羅協同農場(今の丹波協同農場)の運営に設立当時から関わり、2年後には代表取締役に就任。穀類(大麦、小麦、大豆)を中心に加工用トマト、鷹の爪、ポップコーンの生産に従事してきました。

同時期に私も、よつばの配送現場から一転、畜産の世界に飛び込み、彼と同じ第一次生産に関わる者同士だったこともあり、大阪と広島という距離はありましたが、よく世羅協同農場に出向き、二人で夜遅くまで語り合いました。そんな時、彼は決まって得意の手料理を振る舞い、みんなが料理に舌鼓を打ちながら和気あいあいと食卓を囲んでいる場が本当に好きでした。

そんな彼の性格は生産現場でも発揮されていたと思います。生産に必要な作物の質や収量もさることながら各作物の出来栄えの見事なこと。特に金色に輝く大麦・小麦畑は見る者を圧倒し、感動を与える、そんな畑でした。その後2014年に丹波市に移転。社名も丹波協同農場に変更し、穀類生産を再スタート。畑地から水田に変わり、湿害という不利な条件もありましたが、そんなことはものともせず、移転初年度に見事な麦畑を地元に披露し、村の人たちを唸らせていたのを今でも憶えています。

そんな彼が代表に就任した頃こんなことを言っていた。「穀類生産は一年一作。あんまり長生きする気はないけれど、麦・大豆を50回は作りたい」と。その想いは道半ばとなってしまいましたが、生涯をかけて穀類生産に取り組んでいた彼の生産への情熱と信念は私たちが引き継いでいきたいと思います。 近藤亘さん、ほんとうにご苦労様でした。ゆっくり休んでください。

(能勢農場 寺本 陽一郎)