2025年第141便₋2
能登への訪問
能登へ訪問させていただきました。今から約30年前の阪神淡路大震災の時、私はまだ物心がついておらず当時何が起こっていたのか分かっていませんでした。そのため地震の被害にあった土地を訪問することは今回が初めてでした。
地震による被害は向かう途中から既にあらわれており、道路の陥没により車は激しく揺れ、通行不能のため反対車線の道を通ることもありました。現場に着くと屋根の重みで潰れた家、窓が割れてそれらをブルーシートで覆っている家、ひっくり返った倉庫等発生から14カ月経っているとは思えない現状でした。さらに気になったことは復興作業をしている様子や音が全く聞こえなかったことです。今も手をつけられずほったらかされている様子でした。
関西万博の工事が始まってから5か月ほど経った頃に地震は起こりました。大災害にも関わらず万博建設は止まらず復興は後回し。ただひたすらに目先の利益を求めているように見えます。確かにそれらは必要なものではあると思います。しかしそれらはあくまで食料、住居等生きるために本当に必要なものを手に入れるために必要なだけであり、最優先にするべきものではないのでは。もし生きるために本当に必要なものが無くなってしまうと途端にそれらは価値を持たなくなります。本当に必要なものは人の手によって生まれ、能登の人々も生みだし続けていました。今回の研修で出会った方々の話を聞いたこと、子どもたちと関わったこと…。能登という土地も決して目先だけで見ることはできない、利益なんかよりも大切にしなければならないものだと思います。
(能勢農場 井上 貴仁)
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2月28日の夜から3月2日の間、石川県能登地方へボランティア活動の手伝いに行きました。28日は、兵庫から約4時間かけてJR金沢駅近くのホテルまでレンタカーを借りて行ってきました。3月1日は、ホテルを朝早く出て珠洲市に向かいました。向かう途中も迂回やデコボコだったり本来は片側2車線の道が陥没して対面通行の所がありました。途中で宝立町に寄りました。地震発生から約1年ですが、まだまだ倒壊した建物がたくさんありました。そこは地震もあり津波も入ってきた所で、想像以上にただただすごい風景でした。
お昼からは同市の三崎町の公民館に行き、大阪に拠点がある認定NPO法人 CPAO(しーぱお)さんと一緒にお茶会と子ども食堂のお手伝いに参加しました。仮設住宅のコミュニケーションの場になったり、仮設住宅自体がグランドや空き地などに建てられるためあまり遊べない子ども達が公民館の中で走り回ったり(広いスペースもあり)して、楽しんでいました。自分も仮設住宅のお子さんと一緒に遊びました。公民館のホワイトボードにも、座談会の内容があって「解体が進めば先の事も考える」や「若い人が出て行って帰ってこない」等があり、倒壊した建物がある以上新しく建てられない、働く場所も限られているという現状がありました。
3月2日は、珠洲市の原発建設予定地で反対運動をされていた方に話を聞きました。話の中でも原発建設賛成派と反対派が半々で中には無回答の方もおられたみたいです。原発を建設するために地域の方々に電力会社の接待もあったが28年に及ぶ闘争の末、反対運動が身を結び凍結されました。その後に原発建設予定地を見ましたがそこは隆起がひどく、実際に建っていたら想像もつかないような事が起きてたと思います。そこから海岸線に沿って走ると、豪雨の影響で土砂崩れがひどい場所もありました。そのあと、東京に事務所がありますが能登に活動を移しておられるパルシックさんを訪ね、倒壊した家から輪島塗のプラスチック製品の選別のお手伝いをしました。
地震発生直後は色々と報道されますし、復興が進んでいると流れますが、実際はまだまだ手付かずな所も多く不便が多い状況です。いま自分たちに何ができるか考えて次の機会に活かしたいです。
(食肉センター 井上 高嘉)
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能登半島の支援活動に初めて参加しました。最近は能登半島の地震のことはほとんどニュースになっていなかったので復興が進んでいると思っていました。でも、実際能登半島の珠洲市に行くと崩れた家があったり、地面が隆起していて道路が割れてボコボコになっていたり、海岸ではその隆起した地面のせいで一部の漁師さんの船が沖に出せなくなっていたりと全然復興が進んでいないと感じました。
支援活動としては、NPO法人CPAOの方々と珠洲市の三崎町で物資の配布、子ども食堂のお手伝いや地元の方との交流、パルシックの方のお手伝いをしました。
CPAOの方とは、僕自身料理を作ることができないのであまりそこではお手伝いできませんでしたが、子ども達と走り回って遊んだりして、ちょっとでも子ども達が楽しかったと思ってもらえていたらよかったなと思います。
パルシックの方とは震災で崩れた家をそのまま解体すると、その家にある輪島塗の漆器なども全部壊れてしまうので、解体する前にその漆器だったりまだ使える物を助け出して漆器とプラ製の物などを綺麗に洗浄し、漆器は元の人に返したりまた再利用してプラ製のまだ使える綺麗な食器も希望する方に送るために、同じ食器同士をまとめて選別するお手伝いをしてきました。
支援活動をするのは初めてで何をしたらいいのか分からなかったのですが、CPAOの方が「これ運んで」とか「これ手伝って」とか言ってくれたり、パルシックの方が「この食器同士合わせて新聞紙で包んで」とか言ってくれたので、少しはお手伝いできたと思います。地元の方も色々と手伝いにきてくれてありがとうと言ってもらえて僕自身が元気をもらいました。また次の機会ではもっと色々とお手伝いが出来るようにしていきたいです。
(食肉センター 佐田 章平)
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関西よつ葉連絡会事務局からの呼びかけで、現地で支援活動をしている団体のお手伝いをさせていただきました。私自身が阪神大震災を経験し、何かできることがあるのなら少しでもお手伝いがしたい、震災から1年以上がたちどのような状況になっているのかを知りたいとの思いで参加させていただきました。
1日目はNPO法人 CPAOさんが開催するお茶会とこども食堂のお手伝いでした。よつ葉でチョコレートを扱っているCPAOさんは生きづらさを抱えている子どもたちやシングルマザーの支援をしている団体で、震災後は週末に隔週で珠洲市での支援活動をおこなってきたそうです。現地の方たちとも顔なじみになっている様子で、関わっている方たちの人柄と活動の温かさが伝わっているのだと感じました。
2日目は能登町で活動しているNPO法人パルシックさんのお手伝い。よつ葉ではパルシックさんのコーヒーなどを扱っています。活動拠点にしている場所は健康福祉の郷「なごみ」という場所で昨年の夏ごろから能登町に交渉して今年の2月から使用が可能になったそうです。今ではランチ営業もしているとのこと。お風呂や運動器具などもあり、元々子どもから高齢者までが集まる多世代交流の施設だったそうで、パルシックさんも震災によってバラバラになった人たちが、多く集える場所になれたらいいなと活動をしているそうです。
今回、訪れた珠洲市ではいまだに水道の復旧が進んでいないところもあるとのこと。津波が襲った宝立町では倒壊した家がそのままのところもたくさんあり、なぜこんなに遅いのか疑問に思うことが多く、怒りがこみ上げてきました。
今回お手伝いせてもらったCPAOさん、パルシックさんはカタログlifeで商品を扱っている団体です。モノで繋がっているだけではなく、こういった活動も共にできることが私たちよつ葉の良いところだと思っています。
(食肉センター 谷 正充)