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よつ葉ホームデリバリー

2023年10月号(150号)-3

 

 

活魚のゆくえ
福島の風評補償の問題点

 

川島秀一(東北大学災害科学国際研究所)

 

活魚を揚げるために

漁師さんたちの最終目標は、魚を多く捕るだけでなく、それを高く売ることにあります。そのためにできるだけ「鮮魚」( 死んだ魚)より「活魚」( 生きている魚)として、市場に出荷できるようにします。同じ魚であっても活魚の方が、浜値が2 割以上高くなり、時には倍で取引されることがあるからです。

そのため船上の操業時から、活きた魚を数多く捕る丁寧な努力が積み重ねられています。船上で刺し網(注)から魚をはずす段階から鮮魚にするか、活魚にするかが判断され、活きの良い魚は、素早くはずされ、酸素を流入している魚槽に入れられます。真夏にはあえて冷たい水にさらに氷を入れて活かしたりします(写真1)。時には網の修繕を度外視して、高価なヒラメをはずすために網を切ることさえします。

ヒラメやカレイなどをできるだけ早く、はずさなくてはならない理由は、人間の手が加わることによって弱まり、市場に出したときに白い腹に網の跡などが浮き出てきて、値が下がってしまうことがあるからです。また、水槽で腹を見せて泳ぐヒラメは弱りやすいので、そのようなヒラメを見つけたときは、絶えず背中が見えるように、漁師が手に持つ棒で、ひっくり返してあげます。

水揚げされてから市場に出される間にも、競りのぎりぎりまで、売る魚の入ったポリタルに酸素を注入して管理しています。競りで並べられるカゴも、魚の大きい順にきれいに並べられ、何度もカゴの並びを入れ替えながら整えています。

 

民俗の言葉と政治の言葉

海から人間が魚を授けられているという発想は、「寄り魚」を待つ沿岸漁師だけに限りません。たとえば全国のカツオ一本釣り船では、船に揚げたカツオが人の目が届かぬところに隠れてしまい、そのまま船上で腐れてしまうことを「ネセヨウ(寝せ魚)」などと呼んで嫌っています。この魚が放置されていると不漁になると言い伝えられ、不漁が続く船は船内の掃除をしながら点検することを、今でも行っています。

「ネセヨウ」を見つけたときには、そのまま海に投げずに必ず魚に包丁を入れたり、両手でちぎったりしてから、海に投じるという作法があります。これは海からいただいたものは、加工せずにそのまま戻すことを禁じていたからです。
 
ここには海を介した贈答の慣例に近いものがうかがわれます。海に対して感謝の気持ちを行為で表すことによって、次の漁の恵みを得られるからです。つまり海とオカ(陸)との巡り回る関係が生きています。

先祖が遺族の元に戻ってくる盆行事を終えたホトケ送りの日に、海に出て盆船を流して手を合わせる各地の行事が多いのも、海を介して再び来年の盆に戻ってきてもらいたいためです。ここにも海を通した循環の論理が見られます。ましてや海難事故や、津波などの自然災害で海に命を取られた者の魂は、海に常住していると考えられています。東日本大震災で海で亡くなった命日に毎年、船を繰り出し、海に供養の花や生前の好物を供えにいくのは、そのためです。

ところが今回の福島原発のトリチウム水の海洋放棄は、オカに居る人間が不必要なものを、一方的に流すだけで、そこには漁師が海から学んでいる循環の思想が皆無です。

トリチウム水の海洋放棄という問題に対して、科学信仰や経済信仰や法律信仰からだけでは、解決の糸口は永遠に見つけることはできません。「放棄」ではなく、漁師さんたちが感じている海に対する「循環」の論理を今一度、原点から考え直してみる必要があるのではないでしょうか。

 

(注)魚類を捕獲するための漁網の一種。目標とする魚種が遊泳・通過する場所を遮断するように網を張り、その網目に魚の頭部を入り込ませることによって漁獲するための漁具。

 

■かわしま しゅういち■

宮城県気仙沼生まれ。神奈川大学特任教授、東北大学災害科学国際研究所教授などを経て、現在は福島県新地町の漁船、観音丸にて漁業の手伝いをしている。博士(文学)。専門は民俗学。前日本民俗学会長。日本カツオ学会会長。著書に『漁撈伝承』『カツオ漁』『津波のまちに生きて』『春を待つ海』など多数。