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よつ葉ホームデリバリー

2024年12月号(164号)-2

 

 

確実に積み重ねていくこと

 

■たつかーむ(北海道壮瞥町)

どんな人も共に当たり前に暮らせる社会づくりの礎となるように。就労継続支援B型事業所として農園や養鶏と、人と人が対等に働きながら、そこから育まれた野菜、たまごなどを使ったカフェを営み、加工品などもつくっている。

 

 

職員と利用者さんたち

(中列左端の女性がサントス若生さん)

 

 


私たちの役割は私たちを取り巻く豊かな自然、そしてカフェに訪れる人々、卵や加工品をご購入いただくお客さまとの交流、「たつかーむ」で働く仲間の喜怒哀楽、それらすべて抱きこんで循環させ、その輪を心地よく広げてゆくこと。そんな環境で「たまご屋さんのチキンカレー」は生まれました。
 
「たつかーむ」のはじまりは1987年です。支援するものとされるものという立場を越え、対等に働き合うなかで起こる喜びや苦しみも分かち合って生きること。そしておいしく、安全な、自分たちが食べたいものを生産する、と決めた設立者の高野夫婦と養護学校の卒業生3人との、北海道の離農跡地での協働生活でした。みんなで力を合わせた500坪の鶏舎、作業施設づくり、畑仕事、ニワトリの世話、大工仕事、土方仕事、食べものの加工、草刈り、雪かき等々、仕事はいつも山積み。そんな、自然に立ち向かうように暮らす毎日は「終わる気がしない。できる気がしない」などと考えあぐねる暇など与えません。それらの仕事をひとつひとつ確実に積み重ねる他ありません。ですが、そんなチャレンジングな日々が与えてくれた、仕事への揺るぎない自信は会社の宝となりました。あれから37年、かつての「農場たつかーむ」は「(株)たつかーむ」に成長しました。
 
私たちの共生、自立の営み、挑戦がどんなひととも共に「和気あいあい」と働き合える社会の礎になることを願い、循環の輪を広げ、地域に、日本に、そして世界に役立つ、小さいながらも世によき活動を続けながら、仲間とともに歩んでいこうと思います。

(サントス若生 実)


 

 

 

 

 

先を見据えた自社農園に

 

ヒカリ食品(徳島県上板町)■

 

どんな人も共に当たり前に暮らせる社会づくりの礎となるように。就労継続支援B型事業所として農園や養鶏と、人と人が対等に働きながら、そこから育まれた野菜、たまごなどを使ったカフェを営み、加工品などもつくっている。

 

 

島田さん

 

 

  私たちの自社農園は2000年に工場を上板町に移転した際、工場の敷地が広いために緑地を設ける必要があり、始まりました。普通の緑地では面白くないので、有機のゆず・ゆこう(四国で収穫されるゆずと橙の交配種)・すだち・レモンを植えました。また翌年、有機農業をやりたいという社員が入社したこともあり、工場敷地外にも自社農園として有機農業を始めました。畑も広がり、だんだんと人手が足りなくなってきたときに、農福連携の施設に定植、防草、収穫等の作業を助けてもらうようになりました。
 
今年になり、近くにある引きこもりの方などの支援を行う就労支援型事業所の方から何か仕事をさせてほしいとの話がありました。ヒカリ食品も製造が忙しく、有機原料の加工時間の確保が難しくなっていたところだったので、お手伝いいただき大変助かっています。来年、認証を取り、従来商品で「ノウフクJASマーク」をつけようと計画しています。
 
自社農園では国産有機加工用トマトをメインに栽培しています。加工用トマトは生食用トマトとは違い、無支柱の地生えの露地栽培となり、収穫は真夏の7月~8月中旬頃で過酷な作業になりますが、自社の若い農場スタッフが頑張ってくれています。最近の気候変動により線状降水帯や梅雨、台風などの被害も多く、農園での栽培も大変難しいものです。リスクヘッジのために10年程前から、梅雨、台風の被害が少ない北海道で国産有機トマトの確保のため畑を広げています。農園では他に玉葱、にんにく、唐辛子、青じそ等の野菜や柑橘類を栽培しています。5年、10年先を見据えて、今後、国産の有機原料で仕入れるのが難しくなりそうな野菜・果実の確保のため、耕作放棄地の畑を買い栽培しようと考えています。           

(島田光雅)


 

 

   

 

 

 

 

ときどき、一筆

 

大人たちが夢中になって足跡を追う

蜜蜂荘 大道良太

 

  寒い冬の休日、10名以上の大人たちが家族サービスも投げ出し、夢中になって足跡を追いかけます。時には汗と雪でびしょ濡れになり、時には服まで破れ、時には軽トラを脱輪させてまで追いかける、その足跡の主はイノシシ。狩猟シーズンの到来です。私が養蜂を生業(なりわい)とし、春から秋まで蜜蜂たちに怒られながらも仕事をするのは冬の間、心ゆくまで足跡を追いかけていたいからです。一般的に狩猟といえば鉄砲で撃つイメージが強いですが、狩猟における鉄砲の役割はその最後の一部に過ぎません。半日かけて獲物を探しだし、山のどこから猟犬に追い立てさせ、どの谷筋で射獲するかを全員で考え実行します。猟犬も含めたチームで捕獲に挑みます。その猟全体の組み立てが上手くいったときの達成感は個人プレーでは味わえない領域に至ります。
 
京都の猟師は「見切りができて一人前」と言われてきました。見切りとは足跡や食み後から獲物の年齢や性別、通った時間や方向、数を読み解き、現在どの尾根にイノシシがいるかを判断する狩猟技術です。しかし実際に見切りができる猟師は少なくなってしまいました。里山に鹿やイノシシが増えたことで見切りをするよりも適当に山を決め、一日あたりの狩猟回数を多く実行する方が捕獲数は多くなる傾向があるからです。捕獲数に応じた報奨金も入ることから、全国的にこの傾向は見られるといいます。
 
捕獲数は増加しましたが、新人が足跡と向き合う時間はなくなり、高い技術を要する見切りの習得は難しくなりました。危機を感じた私は数年前より、集合時間の1時間前に足跡講習を行い、見切りの楽しさを伝えることから始めました。今では仕事で半日しか山に行けませんが、午後の鉄砲撃ちよりも、「午前の見切りだけ参加しても良いか」と連絡が来るほどです。狙った獲物を獲る、たまたま居たから獲れた、“獲った”と“獲れた”の違いを気にする猟師が京都にわずかに存在しています。少しずつその数を増やしながら。

 

蜜蜂について話をする大道さん