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よつ葉ホームデリバリー

2024年7月号(159号)-1

よつばのつながりとともに

 

今後も継続的な訪問と支援を行います

 

 

 

 2011年の東日本大震災で甚大な被害を受けた石巻・高橋徳治商店の高橋英雄さんは「被災地は社会的課題の先進地だ」と言い切られました。貧困、孤独、DV、高齢化…普段は見えにくい、社会が潜在的に抱える諸問題が一気に可視化されるからでしょう。
1月1日の大地震から半年以上が過ぎた、現在の能登半島はどうでしょうか? 現地を訪れると政治の冷淡さや無策ぶり、「復興」をテコに企業が儲けを画策している雰囲気を感じずにはいられません。「住民のいなくなった地域に外国の資本が入ってきて、能登半島はリゾート地に変わっちゃうのでは?」と危惧する声まであります。そんな状況下でも、よつ葉の生産者やNPOなどが地域の人たちに寄り添った活動を続けています。関西よつ葉連絡会ではそういった心ある人たちと協力しながら、継続的な支援活動を続けていきます。被災地が社会的課題の先進地だとするなら、その地域の人たちがより良い形で暮らしを再建できるような在り方は、社会全体が良い方向に進むための道標になるに違いありません。今後も被災した地域を支える活動にお心を寄せていただきますよう、どうぞよろしくお願いいたします。 

(関西よつ葉連絡会事務局長 松原竜生)

 

 

 

 

職員より - やれることを継続していきます

 

大阪産直 久米公介

 


元日に家でテレビを見ていると地震速報が。「北陸地方で大きな地震があった」と画面はお正月ムードから現地の映像に切り替わりました。「北陸の人たちは無事なのか? お付き合いのある生産者の人たちは大丈夫?」とテレビを見ていました。あれから約4カ月後のGW明けに少しの物資を持って能登へ行くことになりました。現地ではよつ葉とコーヒーなどでお付き合いのあるパルシックさんが支援活動をされているということで、そのお手伝いと今後継続して一緒にどういった支援ができるのかを検討するためでした。


金沢市内は被害も少なくきれいな街並みでしたが、そこからのと里山海道に入ると一変して道がガタガタになっていたり道路が陥没していたりと被害の大きさを目の当たりにしました。そこから輪島市内に入りましたが、家屋の倒壊など町全体が甚大な被害を受けていました。次の日には珠洲市に行きました。珠洲市は津波の被害もあり海沿いの地域は特に被害がひどい状態でした。


東日本大震災の時も支援に行きましたが、そのときと違い今回は4カ月が過ぎて仮設住宅などは出来始めていましたけど、移動中に自衛隊の姿をほとんど見かけませんでした。行き帰りの北陸道ではリフレッシュ工事をしていました。工事をしている人たちが悪いわけではないのですが、「その工事は緊急なのか? その機械や人を使うのはそこじゃないやろ?」って。普通に考えれば分かりそうなものですが、万博にしても同じです。
まだおせちやお雑煮をそのままの状態で避難されている方もたくさんいると聞きました。テレビなどではほとんど能登の報道を見なくなりましたが、少し前のニュースで被災地の人が「国に見捨てられた気分だ」と言っていました。岸田首相は「被災地の人たちに寄り添って」などと言っていましたが…。


ぼくたちができることは小さなことです。でもその積み重ねや拡がりによって、可能になることはあると思うので自分にやれること、よつ葉にやれることを継続していきます。

 

輪島朝市は焼き尽くされた燃えた車の前にお花が手向けられてあった


 

 

 

生産者より - 人が還流するような活動を

 

 

特定非営利活動法人 パルシック 小栗清香

 

   

  1月7日、前日に金沢で支援物資を調達した私たちは珠洲に向かおうとしました。しかし、能登は雪。物資を届けることができたのは、発災から1週間あまり経過した1月9日でした。大きく亀裂が入り裂けた道路、折り重なるように倒れた家屋…。私の知っている美しい能登とは全くの別世界が広がっていました。

発災直後は目まぐるしく変化する状況に対応しているうちに、慌ただしく日々が過ぎていきます。断水で洗濯ができないという声を受け下着を調達したり、ご寄付いただいた食料や日用品を物資配付拠点や避難所に届けたり、被災者の皆さんが少しでもホッとできる時間を提供したいと、コーヒーや茶菓子を避難所でふるまいました。「わぁ、嬉しい! 地震の前は珠洲のお気に入りの焙煎屋さんでコーヒー豆を買って、毎日飲んでいたの」と話に花が咲き、突然被災者としての暮らしを強いられることになった人たちの暮らしが少しでも早く元に戻ってほしいと強く思いました。


4月からは能登町に空き家を借りることができ、能登に拠点を構え長期的に復興支援に取り組む体制が整いました。現在は能登町の仮設住宅入居者への生活家電の購入支援や、在宅被災者向けの物資配付、交流サロンなどを行っています。


地元の方とお話をすると、「地震をきっかけに若い人がどんどん外に出て行ってしまう…」といった不安の声を多く聞きます。元々あった過疎・高齢化という課題に対し、人のつながりや伝統文化が強く残る能登が、また安心して暮らせる場所になるような居場所づくり、能登に関心を持ちつづけたり、人が還流するような活動を続けていきたいと考えています。

 

輪島市の倒壊した7階ビル

 


これまでに集まった義援金11,270,074円(5月末時点)のうち、既
に生産者へお見舞金としてお渡しした分(140号「今週のお知らせ」
および「よつばつうしん」4月号で報告済)を除く残額について、被
災した工場の改修費用として、必要とされている生産者へ全額お渡し
することになりました。
これをもって、毎週ご注文可能だった震災義援金を一旦締め切らせ
ていただきます。被災地の状況をみながら、再度お願いする可能性
もあります。その際はご協力のほどよろしくお願いいたします。

よつ葉のつながりとともに
今後も継続的な訪問と支援を行います