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よつ葉ホームデリバリー

2024年9月号(161号)-3

サーモン養殖のこれからを探る

~拡大する陸上養殖の意義と課題

 

 

佐野雅昭(鹿児島大学教授)

 

 

世界と日本のサーモン需給

 

サケマスは日本人に馴染みの深い魚です。北海道などの北日本では秋に漁獲されるシロザケを秋鮭と呼び、もっぱら塩鮭に加工して食べてきました。しかし近年ではサケマスのこうした食べ方はあまり見かけなくなり、お寿司や刺身で食べる、つまり加熱しないで生で食べることが多くなりました。こうした食べ方をする場合、サケマスを「サーモン」と呼んでいます。
 

これらはすべて養殖で生産されています。天然のサケマスは寄生虫のリスクがあり、養殖されたものしか生食できないのです。サケマスには多くの種類がありますが、主にアトランティックサーモンとサーモントラウト(ニジマス)の2魚種が「サーモン」として食べられています。今やサーモンは老若男女を問わず最も人気がある水産商品となりました。これらの多くはノルウェーやチリなどの海外で養殖され、日本に輸入されています。最近では日本でも養殖が盛んになり、これらは「ご当地サーモン」と呼ばれて人気を博しています。
 

世界のサーモン養殖業は大きく発展を続けています。海面で養殖されるサーモンは世界全体で300万トンを超え、天然サケマスの約3~4倍になりました。ノルウェーとチリが主な生産国です。世界では環境面・健康面への配慮を背景に畜肉から水産物へのシフトが進んでおり、食べやすい水産物メニューとして「寿司」がブームとなってきました。こうした社会変化を背景として、サーモンの市場は発展途上国含め大きく拡大しています。世界全体のサーモン市場は今後ますます拡大していくでしょう。
 

日本でもサーモン消費が拡大しています。現在サケマスの国内消費量は約30万トンと考えられますが、そのうち7~10万トンが生食用の「サーモン」だと考えられます。塩蔵品の消費量は減少傾向にあり、サーモン市場が大きく拡大しています。こうした市場機会を捉え、「ご当地サーモン」がこの10年ほどの間に全国で次々と産声を挙げたことは周知の通りです。これは既存の魚類養殖同様に、海面に生け簀(す)を浮かべて養殖するやり方です。「ご当地サーモン」という名の通り、各地域の自然環境に応じて適切な養殖方法や対象魚種が産み出され、特徴的で個性的な養殖が営まれています。また近年には海外資本や非水産系企業による閉鎖循環式陸上養殖への巨大投資が日本でも進んでおり、近々市場参入することが予想されています。閉鎖循環式陸上養殖の生産規模は巨大であり、市場へのインパクトは非常に大きいと思われます。

 

閉鎖循環式陸上養殖の長所と短所

 

 

 養殖業経営のなかで、その結果を左右する最も重要な要素は漁場です。水温や水質など養殖業を取り巻く自然環境は、技術が同質化している現在の養殖業では漁場条件が経営の優劣を決定します。そして優良な養殖適地は魚種ごとにごく狭い地理的範囲に限定され、極めて限定的です。海面での養殖業は自然環境に依存した産業なのです。
 

こうした漁場利用の限界性、養殖業の環境依存性を突破する技術として期待されるのが閉鎖循環式陸上養殖です。これは「漁場」を工場のなかに作りだすことにより「自然環境条件からの自由」を得る技術なのです。巨大な建屋の内部に水槽や用水循環装置などが設置された「工場」が生産基盤となり、自動化が進められたシステムでは人間労働も最小限に押さえられます。この技術は既に世界標準化されつつあり、これらを買えば誰でもどこでも簡単にサーモン養殖を開始できます。参入脱退が自由に行える一般的陸上産業であり、現実にも異業種や投資ファンドが活発に参入しています。
 

工場制機械工業体系を取ることで、養殖魚は工業製品となります。つまり規格化、安全性・衛生水準の確保、トレーサビリティの実現、魚病の排除、海洋汚染防止や環境配慮の実現などが可能となるでしょう。また加工処理などを一体化した統合型バリューチェーン(価値連鎖)を計画しやすい点も長所となります。都市周辺に立地すれば鮮度面では強みとなるはずです。規格性、周年供給性そして鮮度感を併せもつ生産物は、価格さえ折り合いがつけば強い需要が見込めるのではないでしょうか。しかし巨大で高度に機械化された設備投資は高額であり、運用にも大きなエネルギーが必要となります。総コストの2割程度が電力料金となることが予想されており、海面養殖では必要のない電気料金負担が経営を圧迫するのです。しかし日本の電気料金は世界一高く、同じシステムで生産された海外製品と価格競争して勝てる見込みはほぼないように思われます。市場がその長所を評価しそれに見合う価格を容認するかどうかが、この産業の成否の鍵となるでしょう。

 

海面養殖の見直しと日本養殖業の展望

 

 

閉鎖循環式陸上養殖は海面利用に関わる物理的そして法制度的制約から離脱し、経営の自由を獲得できる点に企業経営上の意義があります。資本力さえあれば砂漠でも大都市でも大規模な養殖生産が行えます。こうした自由を得るために大きなエネルギーを消費するぜいたくな生産システムなのです。逆に言えば、恵まれた海洋環境を生かした海面養殖を営める条件があれば、無理にこれを行う必要はないのではないでしょうか。日本は世界でも有数の優れた海洋環境を有している数少ない国です。低コストでナチュラルな海面養殖生産が行えることこそ、日本の強みではないでしょうか。われわれは太陽の当たらない工場で生産された魚か、自然の海のなかを泳いで育った魚か、どちらを食べるべきなのでしょうか。太陽エネルギーを直接的に利用する海面養殖や漁業は一見原始的なように思えますが、実は本来的に環境持続的で未来的なのです。逆に、先進的に見えますが大量の電力を消費しなければならない閉鎖循環式陸上養殖こそ今や時代遅れなのではないでしょうか。それは日本にとって必要な技術なのでしょうか。
 
われわれは日本の豊かな自然とそれと調和した海面養殖技術を見直し、逆にメディアがあおりたてる新しい養殖技術を冷静に評価することが必要です。その上でどちらか好きな方を選択すれば良いのです。未来の子どもたちに豊かなおいしい魚をもたらしてくれるのはどのような養殖業なのでしょうか。どちらを残したいのでしょうか。われわれの購買行動によって選ばれた方が生き残り、選ばれなかった方は淘汰(とうた)されます。短期的な利益に目を奪われることなく、長期的視野に立ち、「食」を選択することが求められています。