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よつ葉ホームデリバリー

2025年2月号(166号)-4

 

 

みのお船場店OPEN! お野菜モリモリ、笑顔マシマシ   

 

 

ふるさと広場みのお船場店 稲原 裕

 

 

昨年末の12月12日によつ葉のお店「ふるさと広場みのお船場店」を箕面市船場西にてオープンしました。場所は北大阪急行の新駅「箕面船場阪大前駅」徒歩8分の閑静な住宅街の中にあります。住宅街の中なので、初めての方は見つけるのに苦労するかもしれませんが、よろしくお願いします。
 

よつ葉のお店はその昔はたくさんあったそうですが、今では片手で数えられるほどになりました。宅配も便利でいいのですが、実際に商品を見て買える、試食もできる、スタッフとお話もできるなどお店には魅力がいっぱいです。実際に「ふるさと広場曽根店」ではスタッフとお客さまの笑顔でいっぱいの素敵なお店になっています。そんな素敵な場を増やしていきたいと思い、今回の出店となりました。
 

「ふるさと広場みのお船場店」では、よつ葉の商品はもちろんですが、よつ葉の地場野菜を「北摂協同農場」に協力してもらって、直接野菜を取りに行って無農薬野菜の販売を行っています。また、揚げたてのコロッケをはじめとしたお惣菜や果物の試食、店頭でのイベントなども行っていきます。
 

「もう行ったよ」という方も、「まだ行ったことがない」という方も、お野菜モリモリ、笑顔マシマシで皆さまのお越しをお待ちしています。よろしくお願いします。
 

 

 

 

 

水俣京都展報告

6000人の来場でも赤字

ーそれでもなぜ活動を続けるのか

 

 

水俣フォーラム 実川悠太

 

水俣との縁浅からぬ関西よつ葉連絡会に特別協賛していただいた「水俣・京都展」が、昨年12月22日に16日間の会期を終えました。この間に5721人の方が「みやこめっせ」に足を運び、500人を超す方がオンラインで講演や映画を鑑賞しました。いわゆる「市民運動」の退潮が数10年続くなかでのことですから、多くの方から称賛いただきました。
 

しかし、私たちが目指していたのは「少なくとも8000人」でしたから、入場者減に比例して400万円を超す赤字が残ってしまいました。事業としては誇れるものではなかったということです。それでも水俣フォーラムは「水俣展」の開催を止めません。そこには不知火海南部沿岸の全住民調査さえなされず、新たな償いの門が開かれていない現実があります。のみならず、原発の稼働延長や有機フッ素化合物汚染にみられるような水俣同様の加害構造と被害放置も続いており、メチル水銀による健康被害が今も全世界で懸念されています。さらに地球環境の状況を見れば、もはや手遅れというべき段階にあるものの、そんな理性的な理由で社会変革が成されたことなど、人類史のどこにも存在しません。つまり数千人、数万人の合法的な催しが影響を与え得る状況には、とうにありません。しかし水俣フォーラムに集う会員1000人、会友15000人にとって、そんな政策修正的な理由は活動継続の二次的な動機に過ぎないのではないかと思うのです。では私たちを突き動かしてきたのは何か。
 

患者をはじめ水俣病事件には筆舌尽くし難い状況のなかでも偉業というべきことを成した人がいます。権力・財力から遠い所に生まれ落ち、学歴もなく、自身も発病し、幼な子や老いた親を抱えて生活保護を受けながらも他の患者たちの窮状を見るに見かねて強者に刃向かいつづけた方が何人もいました。あのころから半世紀を経て、こういう方々の大半は逝去しました。一方で、現代人の生と心はますます瘦せ細って自己の存在さえ認められず、他者と心通わせたことのない人が社会にあふれるようになりました。そんな人にこそ「人はこうもあり得る」と伝えたいのです。そして、役に立つとか立たないとかに関わらず、目を背けてはならない事実を白日の下に示しつづけたい。それは、明日、生命尽きるような人にこそ良い食事を供したいと思わずにはいられないことと同じではないでしょうか。志を同じくする方のご入会、ご参加をお待ちしています。

 

 

展示説明はボランティアスタッフも担った

 

 

編集委員からの一言

 

 

 よつ葉からサポーターとして関わっていた「水俣・京都展」が終わった。毎月、会議のなかで水俣病の患者さんの話などを聞き、学びながら関わるといった形態で、非常にいい経験をさせてもらいました。なかでも開催前には「出魂儀」、展示会の最後には「帰魂儀」と魂を迎え、お見送りするという会で語り掛けをさせていただいたことがとても印象に残っています。
 

そのきっかけはよつ葉ともゆかりのある杉本水産の杉本栄子(故人)さんが言いだしたことだそうです。丸くパーテーションを囲んだ遺影が並んだ空間で、水俣病で亡くなった方々に語り掛けをするのですが、その場で話すことを考え、言葉に詰まりながら、話す行為は当然ですが、ただその空間に入って、鑑賞者として見るのとはまったく違うものでした。
 

まずは「ようこそ、京都にいらっしゃいました」という挨拶から、最後には「今後ともよろしくお願いします」と語りかけたのですが、まるでそこで語り掛けを行ったというだけで、水俣や水俣病で亡くなった方々と新たな関係が始まったような気持ちになる、貴重な体験になりました。

(編集部 矢板 進)