メニュー
閉じる

よつ葉ホームデリバリー

2025年3月号(167号)-1

 

阻止できてよかった珠洲原発、

 

廃炉にすべき志賀原発

 

 

 能登半島地震から1年2カ月がたちました。もし能登に珠洲原発が建っていたら。志賀原発が稼働していたら。東日本大震災のときのような惨事が再び起こったのではないでしょうか。その被害は直接的に関西にも及ぶことになったと思われます。にもかかわらず、関西電力は昨年4月に福井県の原発、高浜3・4号機の60年になる老朽原発稼働の認可を得ました。危機感のまったく感じられないその判断に驚くばかりです。地震大国日本での危険性を考えると、私たちは珠洲原発を止めた運動に敬意を感じるとともに、そこから学び、継承していかなければなりません。珠洲原発反対運動にも関わり、志賀原発廃炉の活動をしている北野さんからの報告です。
 

 

北野 進さん

 

 

志賀原発廃炉を脱原発の突破口に

 

志賀原発を廃炉に!訴訟団  北野 進

 

 

最大震度7を記録した昨年の能登半島地震は奥能登を壊滅状態にしました。珠洲市に限ってみれば、直接死の人口比は阪神淡路大震災での神戸市を上回り、住宅被害をみれば住家の3割が全壊、半壊以上では3分の2にのぼります。
 

市内全域で断水、停電、通信障害が長期に及び、孤立集落も多数発生し、避難生活は困窮しました。市役所や消防・病院など本来ならば、防災業務の先頭に立つはずの組織も従事する職員の多くが被災者です。
 

しかし、それでも「最悪の事態を免れた」との声が地震直後から寄せられています。珠洲市にはかつて珠洲原発の計画がありました。関西電力、中部電力、北陸電力の3電力の共同開発として進められ、関電は高屋、中電は寺家で立地を計画し1000万キロワット構想も語られていました。
 

いま、寺家の炉心予定地付近は約1m隆起し、遠浅の入り江には岩場が広がり風景は一変しました。予定地に連なる集落には4mの津波が襲い、住民は命からがら裏山へと駆け上がりました。道路は津波被害によるがれきでふさがれ、救急車も来ることができません。原発事故が起これば到底、広域避難など不可能でした。
 

一方、高屋では関電が立地可能性調査を予定したエリアの前の海岸で2メートルもの隆起が見られ、陸域が沖合に向かって大きく広がりました。高屋に入るには海岸沿いに東西から2本、山越えルートで2本の計4本の道路がありますが、地震でいずれも通行止めとなり孤立集落となりました。孤立が解消したのは1月7日のことで、原発事故が起きても避難ができず被ばくを強いられました。
 

寺家や高屋に原発が建設されていたら被害は珠洲にとどまるわけもなく、風向きによっては関西や中京、関東へと広がったでしょうし、日本海は放射能汚染の海となったことは間違いありません。珠洲原発を阻止できたこと、ご支援いただいた全国の皆さまには感謝しかありません。

 

志賀原発建屋

 

攻めの選挙、守りの共有地運動

 

珠洲原発計画は2003年、電力会社の撤退で幕を閉じました。水面下の動きを含めると30年余に及びました。一時は反対派の市議はゼロ、市民は反対の声どころか原発を話題にすることすら厳しい時期もありました。そういう局面を克服し、撤退に追い込んだ勝因を簡潔に述べるなら、攻めの選挙、守りの共有地運動と言えるでしょう。
 

転機となった1989年の市長選挙を皮切りに、県議選、市議選、知事選など次々と原発選挙に挑み、反原発の民意を常に示しつづけると同時に、県政を巻き込んで攻防の主導権を握ってきました。「住民合意を最大限尊重」とする県知事を前に、私たちは原発誘致の住民合意を砕き、電力会社の撤退への道筋をつくることに成功しました。

 
一方、電力会社が原発を建設するためには用地買収と漁業権の放棄が必須条件ですが、寺家、高屋それぞれで共有地運動を広く展開し、用地買収を事実上不可能に追い込んでいきました。また、漁業権の鍵を握っていたのは市内7漁協で最大の蛸島漁協(当時)であり、漁業権放棄どころか反対運動の大黒柱として奮闘し、電力会社を寄せつけませんでした。

 
珠洲に原発がなくてよかったと多くの人が安堵した昨年の能登半島地震ですが、残念ながら能登には志賀原発があります。今回、志賀町北部で震度7を記録し、多くの人が志賀原発は大丈夫かと恐怖を感じました。幸い13年間停止中で使用済み核燃料の冷却は進んでおり、また原発敷地内の揺れは震度5強にとどまり、重大事故には至りませんでした。

 
それでも原発の設備は至る所で損傷が確認され、敷地もガタガタです。志賀原発沖合や南側で新たな地震リスクが高まっていると指摘されるなか、次の大地震には到底耐えられません。今回の幸運をまったく理解せず「能登半島地震に耐えた志賀原発」と自慢し、再稼働を目指す北陸電力ほど危険な存在はありません。
 

能登半島地震は北陸電力の想定を大きく超える150㎞の活断層が動き、原子力規制委員会の審査も信頼できないことが明らかとなりました。そして地震に原発事故が重なる原発震災に至れば住民は逃げるすべもなく、孤立し被ばくを強いられます。再稼働などとんでもありません。まずは能登半島地震の被災地にある志賀原発こそ廃炉に追い込み、脱原発への突破口にしていきたいと思います。 

 

珠洲市宝立町鵜飼地区、道路に飛び出した
マンホールが地震の激しさを物語っている

 

お米の価格の見直しについて
米騒動の背景と農家の現状