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よつ葉ホームデリバリー

2025年3月号(167号)-3

誰の子どもも被ばくさせない

原発問題は人権問題

 

 

 

森松亜希子(原発賠償関西訴訟原告団)

 

 

 

私は2011年3月11日に起きた東日本大震災および東京電力福島第一原子力発電所の事故から2ヶ月後のゴールデンウィークに、2人の子どもを連れて大阪に県外避難をしてきました。結果的に14年間ずっと国内避難を続けています。当時0歳と3歳だった子どもたちは今、14歳と17歳、福島県民のまま大阪で中学生と高校生となりました。避難元は郡山市。子どもたちの父親を一人残しての、いわゆる「母子避難」です。
 
この14年間で何度も「父親を一人残して、よくかわいい盛りの子どもたちだけ連れて母子避難を決断できましたね」と避難先の関西では声を掛けていただきました。この国の多くの人が、福島原発事故の放射性物質により水道水が汚染されたという事実を知っています。でも、放射能汚染がたとえ「身体に直ちに影響はない」程度であったとしても汚染された水しか手に入らず、それを飲まざるをえない状況に追い込まれ、飲もうとするたび苦渋の決断を強いられるという私たち福島第一原発周辺地域の住民の苦悩の日々までは想像してもらえません。またその水を飲んだ母親の母乳を赤ちゃんに飲ませるという過酷な決断を授乳の度に迫られていたことも知られていません。
 

私が避難するまでの2ヶ月間は最も空間線量が高く、子どもたちを屋外に一切出さず、室内で缶詰状態。3歳児の外遊びは何時間も車を走らせ県外の公園へ連れ出し、洗濯物は外に干せない。ベビーカーを押して夕飯の食材の買い物もできないというような「ふつうの暮らし」が奪われていく毎日。農作物が豊富に取れる、本来であれば子どもの食育にも最適であったこの福島という土地で「この食材は食べてよいのか?」と生活全般の細部にわたり、いちいち自問自答し苦渋の決断を迫られるという経験をしました。
 
しかし県外に出ると、原発事故を経験していない、600kmも離れた土地ではその一切が本当に何も知られていないことがよく分かりました。週末がくるたびに子どもを連れた世帯が県外へ引っ越していくのを目の当たりにし、「私はどうやって子どもたちを放射能から守っていけばよいのだろう」と人生で最も悩み苦しんだ14年前があるのですが、原子力災害を知らない人々にはこの苦しみはまるで知られておらず、「どうしてお父さんも一緒に避難しないの?」と聞かれ続ける14年でもありました。

●「子どもを守る」ということ

 

 そういうわけですから、避難したくてもできない人の存在や声は当然誰にも知られていません。
 
私には一緒に出産した生まれも育ちも福島県民のママ友達がいました。彼女は教師をしており、発災直後から他のどのお母さんよりも「避難」を切望していましたが、夫も福島県出身の公務員で県外に親類縁者もなく、避難のための公的制度がなければ避難できません。せめて「保養」で定期的に少しの間でも子どもを放射能汚染のない地域に出したいと願っても、14年たってもそのような被ばく防護、被ばく低減のための施策や制度は公的には何ひとつ確立していません。
 
関西での保養情報を頼りに前後数日、私の避難先に滞在した彼女は子どもたちが寝た後に「年に1回、1週間や10日くらい保養に出しただけで放射能から子どもを守れているなんてとても思えない。でもこれが私にできる限界だから…」と涙を流したとき、私はこの声は一体誰が聞き届けてくれるのかと思いました。
 
放射能は無差別にばらまかれ、大切なわが子の命は平等には守られない現実に直面したことで、国と東京電力を被告としてきちんと責任を追及し、望まない被ばくを避ける権利が基本的人権として全ての人に平等に認められるために、避難できた私は声を上げると「決断」をし、国家賠償・民事損害賠償請求訴訟である原発賠償関西訴訟の原告になりました(2013年)。

 

●提訴から12年ー本人尋問で知る原発被害

 

 

「14年もたったらそれ、移住だよね」とか言われることがあります。核被害でもある原子力災害の実態がいかに理解されていないかが人々の言動からよく分かります。避難を続ける理由や14年にわたり、放射能汚染が撒き散らされた現実と真剣に対峙している苦労や苦悩の重みが社会では共有されていません。放射性物質が飛び散った被害地では、特に被ばくに脆弱な子どもを育てる世帯がどれほど注意を払い、放射能と向き合いつづけ、必死で被ばくから身を守ろうとしてきたのか、共有されていません。その結果、裁判では被害を無視した不当判決が続き、原発の再稼働や原発依存がまた進められています。この国のどの原発が事故を起こしても、同じことが繰り返されるということに気づいて欲しいと思います。
 
原子力を国策として進めた国が、そして原子力産業により莫大な利益を得る東京電力が、きちんと責任をもって放射線を管理し、管理できない状態になれば、速やかにそれを知らせ、状況を隠蔽(いんぺい)せず、つぶさに公表する。また危険性についての周知徹底と適切な避難の指示・勧告、そして被ばく防護のための制度と適切な保障を行わなければ、人々は被ばくから身を守ることはできません。
 
高いハードルを越え、避難を決断しても叩かれます。インターネット上では特に自主避難者への「歩く風評被害」「復興を妨げるな」と陰惨な言葉が並ぶバッシングがあります。事実を語る口をふさぐ行為は、言論の自由を奪うことと等しいものです。「鼻血が出たから」と子どもの体調不良が原因で避難しても、「大丈夫?」と気遣うのではなく、「ヒステリック」、「放射脳」と揶揄(やゆ)する。挙句の果ては実害を「風評被害」と言いはやし、本来責任を取らなければならない人々が声を大にして世論を扇動しています。「避難を非難」する社会の歪み、それに付随して差別や偏見が横行し、大人社会の写し鏡のように原発避難の子どもたちがいじめに遭う、これらも原発事故のもたらす重大な人権侵害です。
 
「放射線被ばくから免れ、健康を享受する権利」は、誰にでも等しく与えられるべき基本的人権です。人の命や健康よりも大切にされなければならないものなど、あるのでしょうか? “誰の子どもも被ばくさせない”。原発賠償関西訴訟はそのような未来を子どもたちに手渡したいと思い「ふつうの暮らし 避難の権利 つかもう安心の未来」をキャッチフレーズに、大阪地方裁判所で声を上げています。どうか、傍聴応援、裁判のご支援をよろしくお願い致します。

 

 

東日本大震災避難者の会
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