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よつ葉ホームデリバリー

2025年4月号(168号)-2

 

 

「有機酵素の輪」で貢献

 

■ZIRA JAPAN(兵庫県尼崎市)
 

有機農産物を使った有機酵素や有機青汁などの健康食品の販売を行う。安心安全の健康食品が拡がることで、生産者の一助となる企業でありつづけることを目指して活動を続けています。

 

山本さん

 

 ZIRA JAPANは「オーガニックの標準化」を志し、約6年前に創業しました。健康食品メーカーというカテゴリーになるのですが、商品は全て有機JAS認証を取得しており、最終製品まで完全無添加にこだわっています。「食べたもので身体がつくられる」、日頃の食事+αで栄養補助食品として健康管理にお使いください。
 
酵素では日本で初めて「有機JAS認証」を取得した、安心安全の酵素です。原材料は32種類の国産有機農産物を「皮ごと」「種ごと」ホールフードで有機黒糖のみで自然抽出を行い、2年間発酵熟成を行います。基本的には手作業で2年もの間、週3日すべての樽のかき混ぜを行い、水を加えることは一切しておりません。
 
有機酵素ペーストは約30名の有機農家さんのおかげで製造ができています。最近、加工した有機農産物は年間、約85tでした。旬のものを栽培していただくため、作付けの依頼をしています。無理をお願いすることもありますが、できる限りロスなく柔軟に対応ができる環境を整える努力をしています。例えば、規格外の農産物や市場流通に乗らず廃棄になってしまう農産物を購入させていただくことで、有機農家さんの新しい収入源を生み出すことができました。
 
近年、自然環境の変化により、有機農産物は今まで通り栽培できなくなってきています。「有機酵素の輪」が広がることで少しでも有機農家さんの売上に貢献ができるように日々、全国の自然食品専門店とお付き合いしています。また、有機生産者さんとの直接の打ち合わせも多く、全国どこへでもお伺いさせていただいています。
(山本慎一郎)

 

 

 

地域農業の魅力を広める

 

■長崎有機農業研究会(長崎県南島原市)■

 

1983年に志を同じくする25名で設立。農家は53軒で根菜類、果菜類など多岐にわたって生産、出荷している団体です。農薬や化学肥料の使用は極力抑え、元気な土づくりからおいしくて安心できる野菜をつくってお届けすることを目的とし、よつ葉ともお付き合いの長い団体です。

 

馬場さん

 

 

 いつも私たちの農産物を食べていただき、ありがとうございます。長崎有機農業研究会は1983年に設立され、翌年に産直事業を開始、2001年には有機JAS・特別栽培の第三者認証を取得しました。生産者と消費者をつなぐ交流会を通して、安心で安全な農産物を提供することを理念としています。
 
私たちの島原半島は雲仙普賢岳の麓、眼下には有明海が広がる風光明媚な地です。温暖な気候を活かし、多様な作物を栽培しています。特にミネラル豊富な赤土と粘土質の土壌のおかげで、しっかりとした食味のタマネギやジャガイモが育ちます。また、段々畑の石垣による輻射熱の効果で、作物の早期出荷が可能です。
 
しかし高齢化が進み、生産者は60名から45名に減少。後継者不足は深刻な課題ですが、新規就農者の受け入れを進めながら対策を講じています。その一例として、新規就農した本田君を紹介します。
 
本田君は関東で営業職に就いていましたが、Uターンして地元での就労支援事業を通じて農業と出会いました。幼少期から好きだったみかんを自ら育てたいという夢を抱き、34歳で就農を決意。未経験ながら、研修で土づくりや施肥、防除、剪定などの技術を学び、現在は238aの農園を経営しています。地域の先輩農家や師匠の支援を受けながら、特別栽培に取り組み、温州みかんの品質向上に努めています。今後の目標は農園経営の安定化と、かつて盛んだったみかん畑の再生。仲間とともに倉庫や畑の整備、休憩スペースの設置など、働きやすい環境を整え、地域農業の魅力を広めていきたいと強い意志を持っています。農業の未来を支えるため、皆さまの応援をよろしくお願いいたします。  

(佐藤美佳子)

 

 

   

 

 

ときどき、一筆

 

不安のなかで、「今やれること」

 

 

ニッコー  山﨑雅文

 

  ニッコーは1984年に創業した冷凍総菜メーカーです。食品の安全性よりも経済効率が優先され、安価な素材で添加物を使って総菜を作ることが当然の時代でした。そんな時代から「自分の子どもに安心して食べさせられる食品をつくる」をモットーに国産の肉や産地直送の野菜などを素材にして、シンプルな調理で総菜に仕上げてきました。
 
そして「自分たちで育てた野菜なら、さらに安心だし、愛着も湧く。野菜もつくってみよう」と考えるようになり、神奈川の工場近くで農業を始めました。函館では2町歩を開墾し、土づくりに2年を要して、現在に至ります。2024年には小豆とさつまいもが今までにない収量になり、現在は4町歩になりました。きっかけはいろいろありますが、大きくあげると2つあります。ひとつは私が学生時代にお世話になった地でもあり、何か恩返しができないかと思いました。もうひとつは、私たちの“命の源”である「食」の「素材」、いわゆる「農」がこのままだと衰退してしまうという危機感があったからです。
 
函館で農業を始めたときは、まさに世の中が「コロナ禍」でした。必要以上に行動を制限されるなかで、私たちは食品工場の稼働を維持するために精一杯でした。一方で食材が手に入りにくかったり、高騰したりと不安となる要素ばかりでした。私自身の性格もありますが、じっとしている時間がもったいない、不安さえも感じるなかで「今やれることは何だろうか?」といつも思っていました。
 
いろいろ考えているなかで、「まずは行動してみよう」と思い、函館の地で仮住まいとなる場所を確保しました。当然、費用もかかりますが、費用がかかる以上、前に進めないといけないという自分を追い込む意味でもそうしようと思いました。「人は切羽詰まったときや、大変なときしか本気にならない」、「行動に移さないと何も前に進まない」をモットーに進めてきました。農薬、化学肥料に頼らず、できるだけ自然の力や知恵で、“命の源”となる農業を試行錯誤しながら、社員たちと楽しみながら、進めていきます。これからも支援をよろしくお願いします