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よつ葉ホームデリバリー

2025年9月号(172号)-4

 

 

差別・排外の芽を足元から摘むこと

 

ナチュラルフーズ・ドングリ

西京都会員 赤塚瑠美

 

 

  私が自然食品店を40年営む両親から学んできたのは、食を通じて健康や環境、社会の在り方を考えつづけ、困っている人がいたら一人ひとりと言葉を交わし、向き合う小さな商売の姿勢でした。お子さんのアトピーを抗生物質ではなく生活習慣で改善したいお母さん、化学物質過敏症でお困りの方などが相談にいらっしゃる。当事者の声は経済優先の社会の大きな流れのなかでかき消されてきたように思います。
 
 7月の参議院選挙では生物多様性を尊重し、マイノリティに寄り添ってきたはずの“オーガニック”が差別・排外とともに語られることに黙っていられず「限られた人のためのオーガニックは私たちの目指す世界ではありません」という声明を出しました。私たちが望むのは多様な命との調和、共存であり、誰かを排除することではないとシンプルに伝えたかったのです。想像以上のスピードで共感、賛同の輪が拡がり全国の仲間とつながることができました。選挙で大きなインパクトを残すことよりは、この声明がきっかけで各地に対話が広がることを期待しました。どんな世界を生きたいのかを見つめ直し、それぞれの言葉で意見の異なる人とも語り合うことが重要で、それが分断された社会をどう繕っていくのか考えていくヒントになると思っています。
 
 商売と並行して2023年には入管法の改悪に反対し、この2年近くパレスチナ連帯のチャリティーイベントも企画してきました。差別とは一部の過激なネット民の世界の話だと思っていた私は入管法の審議のなかで、日本社会にはびこる構造的な差別の実態を知り衝撃を受けました。自分自身が生きづらい社会を作り上げてきた構成員のひとりであるということも自覚しました。差別・偏見の行きつく先に恐ろしいジェノサイドがあること、今、この瞬間にも続く虐殺の根底には人種主義があることも目撃してきました。焦りがあるのも嘘ではないけれど、遠回りに見えてもそれぞれの小さな商売や活動のもつ力を侮らず、町の中で差別・排外の芽を足元から摘むことを続けます。その積み重ねが自分たちの暮らしや命を守ることにつながると信じて、日々の会話を大切にする自然食品店をこれからも続けたいと思っています。

 

 

ナチュラルフーズ・ドングリ

 

 

多くの取り組みが未来につながる

 

池田産直  大里哲久

 

8月23日、24日と豊中市で開催された「世界に向かってハイサイ! 沖縄まつり」の講演会やマルシェに参加しました。23日の講演会では安田菜津紀さんから戦争に巻き込まれ、必死に生きようとする人々の暮らしに目を向けたフォトジャーナリストとしての視点や思いなどをお聞きしました。取材を通じて、3.11東日本大震災で家族を亡くし遺骨を探していた木村紀夫さんと沖縄戦で犠牲になった戦没者の遺骨収集を長年取り組んでいる具志堅さんとの結びつきを知ることができました。講演の後半にはパレスチナのガザの漁師の様子や、封鎖による弊害などイスラエルからの攻撃によって6万1千人が犠牲になっていること、子どもたちの厳しい生活などを教えていただきました。安田さんが「あらゆる戦争犯罪、人道犯罪は適切に裁かれるべきだ」と仰っていたことが強く印象に残っています。
 
 24日は関西と沖縄を結ぶ取り組みとして人とひととのつながりを大切にしたいと関西よつ葉連絡会と沖縄物産企業連合が協力してマルシェを行いました。併せてパレスチナ、ガザの支援をしている「パレスチナの子どもを守る会」からもガザを紹介した本やグッズなどの販売をしていました。沖縄生産者のブースでは日ごろ手に入りにくい特産品も多く、来店されたお客さんに食材、野菜、果物の調理方法について丁寧に説明をしていました。また、マルシェの中央に設けられた沖縄の琉装(民族衣装)を着るコーナーでは子どもたちと家族が一緒に楽しそうに写真を撮っていました。
 
 戦後80年という節目のなかで平和の大切さを訴え、沖縄の現状を知ってもらえるよう関西と沖縄の生産者の方々とマルシェを通じて語らい交流の場をつくれたことは大きな財産になったと感じています。世界では紛争が長引きパレスチナ、ガザでは多くの住民がイスラエルによる攻撃で犠牲になっています。沖縄戦終結から80年となる今、平和に向けた多くの取り組みが未来につながると思います。

 

 

 

編集委員からの一言

 

 今号1面の「関西 令和の百姓一揆と食の未来」には実行委員として参加しました。都会に憧れ、農業はしたくないと東京に出た菅野さんは、親の跡を継いで米農家になって町と循環をつなぐ置賜自給圏をつくりました。菅野さんご自身の変化のなかには三里塚での農民の闘い、沖縄の活動の関わりが関係しているそうです。
 
 三里塚で出会った同世代の若者は菅野さんと同じく農家にはなりたくないと言っていたそうですが、親父たちが必死で守っているものを応援しないわけにはいかない、これは人権問題だと聞いて大きな気づきになったということでした。沖縄では若者が島を離れないようにと沖縄を盛り立てる若者たちに出会いました。その若者に「地元に還れ」と言われ、米農家を引き継ぐことにしたと言います。
 
 沖縄の農民運動といえば、伊江島の阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんの活動を思い浮かべます。終戦後の飢餓のなかで、農地を守ることは死活問題でした。平和のために基地ではなく農地を守るという運動が沖縄全土に拡がり、沖縄の祖国復帰に影響を及ぼしました。〝食〟が社会を変える原動力となることを再認識させられます。
 

(編集部 矢板 進)